心も初夏の準備を(^_−)−☆

今日は暖かいですね
上着も要らない感じ♪
ブログをずっと更新していないのに、毎日たくさんの方が訪れてくださっていて、感謝しています
ちゃんと書いてくださいよ、って叱られちゃいました^^;

東京に来ています
部屋の窓からいるかと富士山が見えます

早いもので東京出張セッションもいつの間にか6回目
告知するのも忘れるズボラぶりですが、毎回古い記事を読んで申し込んでくださる人と、継続してくださる人とがいらっしゃって、ありがたいことです

ずっと身辺いろいろありまして、やっと落ち着きました^^;
深いところに隠れていたものが、3ヶ月くらいかけてこれでもかこれでもか、と浮上してきていました
あーだこーだジタバタもがき、やっとピークを越えたようです
自我という幻想、私という思い込みを手放すプロセスが、容赦なく進んでいった感じです
いったいいつまで続くのか、と嘆きたくもなりましたが、でもどこかで大丈夫だとわかってもいました

その間、エゴの仕組み、その幻想性、苦しみの正体、をじーっと観察していました^^;

いま、空っぽな感じが更に定着していくのを感じています
「私」がいない経験は、いままで自分1人の時にしか起きなかったのですが、誰かと一緒にいても起きるようになり、すこしずつそちらがデフォルトになりつつあるようです
そうすると、相手も空っぽだということがよくわかります
そして、時間というものもないし、全てはただ起きているだけ
これ、があるだけで他には何もない、としか言いようがないことも
その自由さをどう表現すればいいのでしょうね
セッションはこれからも続けるけれども
その内容はおおきく変わって行くかもしれません

伊豆に引っ越したんです
何故?どうして伊豆に?
といろいろ聞かれますが、さあ、そんな成り行きになりまして、としか言えないんですよね
説明しようとすればあれこれ言えるけれど、説明しても仕方がないような感じでもあります
そのように起きただけ、かな
引っ越し先については、また詳しく書きますね(^ ^)
とっても素敵なところなんです

来月から東京出張セッションは、週一回程度行います
それ以外はスカイプなどでの遠隔
伊豆の山奥まで来てくださるのであれば、もちろん歓迎いたします
早速伊豆でのセッションをお申し込みくださる方もいて、とっても嬉しいです(*^_^*)

幻想の私を一枚ずつ脱いで、心も初夏服に着替えましょう(^_−)−☆

自己愛と境界線

セッションの中で私は

クライアントさんのエネルギーを吸い込みます
思考も感情も記憶も
トラウマも過去生も
できる限り何もかも
それらは身体を通過するだけのことが多かったのですが
最近は私の身体を使って解放が起きるようになりました
往々にして
激しい悲しみや恐れや怒りに
のたうちまわることになります
ちょっとだけオカルトドラマみたいです(^_^;)
境界線はどうするの?
それで自分は大丈夫なの?
そういう声も聞こえてきそうですが
ちゃんと境界線は引けていて
セッションのあと私は平気です
自分のものじゃないとわかっているので
同化しないんでしょうね
でもセッション以外だと
それは以前は難しかった
ふと出会う人や親しい人のエネルギーも敏感に感じるけれど
プレゼンスに在ることで
自分を守ってきました
でもうまくいかないことも多かったのです
守ろうとすると却って握りしめてしまうみたいで
もう開き直りました
もともと私は吸い込む体質なんだから
思い切り吸い込んじゃえ、と
そしてひたすら愛に変換して吐き出します
恐れは抵抗を生みます
抵抗が苦しみを生む
私のなかでその恐れが減れば減るほど
吸い込むことへの抵抗がなくなればなくなるほど
ますます平気になっていくみたいです
自我が脆弱なうちはできなかったことだと思います
自分を愛し信じられるようになったことが大前提なのでしょう
そしてさらに
自分のエネルギーを吸い込んでも面白いことが起きるのです
最近結構辛いことがあって
湧き上がる思考や感情を持て余し気味でした
ダイレクトパスや各種ワークのあれやこれや
そのエネルギーとの同化を避けようといろいろやってみたけれど
そうだこれも吸い込んじゃえ、と
私の悲しみや寂しさやそういうものも
大口開けてうーんと吸い込みました
すると同じように消えていくのです
人のとか自分のとか関係ないんですね
これを受容というのでしょう
統合とも言えるかな
自分というものは本当はない
自分とか人とか区別なんてできない
感情や思考に、良いも悪いもない
排除すべきものなんてない
つらい出来事や思いも
抵抗しないで受け止めさえすれば良いのですね
スピリチュアル・アナトミーのケーススタディにたくさんのお申し込みを頂き
ありがとうございます
まだ受付続行中です
お申し込みお待ちしています^_−☆

グレート・パラドクス

真実は
いまここにしかありません
いまここ、というのも本当は正確ではなくて
英語では
プレゼンス、と呼んだりします
他にもいろんな言い方がある
これ、とか、それ、とか
アイアム、とか、存在とか
名前のつけようがないのです
名前、概念、意味、時間、そういうものを一切超越しているから
だから、
それを言葉で表現するのは不可能に近い
無理なんです
言葉を当てはめた途端にそれは嘘になるからです
でもそこには確かに何かがあって
しかもそれは途方もなく大きくて
途方もなく静かで
そして開いている
喜び、としか言いようのないものに満ちている
愛、としか言いようのないものが溢れてくる
そして、
そこには誰もいないのです
誰もいない
意味もない
そしてそのことが
なんとも言えない安らぎを生む

それが空です

でも一方で
私たちは色の世界を生きている
つまり現象の世界です
あなたがいて
私がいて
あなたと私は違う人
これ、とそれ、は別のもの
年月が過ぎると年をとり
離れた人に会うのは一苦労
そういう世界を生きている

その両方が
同時に存在するのです

そして不思議なことに
空に気づけば気づくほど
存在の無意味さに開けば開くほど
これが私だ、と思い込んでいたものが
解ければ解けるほど

現象の世界
私がいる世界
色の世界は
生き生きとし始めるのです
なんというか
怖いもんなし
なんでも来い
そしてとても平和

しかも
いままでこれがリアルだ、と思っていたものが
実は幻想だとわかるだけでなく
その幻想の世界は
実はもっともっと広くて
もっともっとバラエティに富んでいて
もっともっとダイナミックだとわかり始める

私の場合だと
エネルギーがわかりはじめました
人の感情がわかったり
石や植物や動物の気持ちがわかったり
目に見えない存在が見え始めたり
宇宙人や龍やなにかと遊んだり
そしてそういうエネルギーを介して
みんながもっと幸せになるように
お手伝いできるとわかり始めたのです
私たちはこの身体、肉体を超えた存在
時間も空間も超えることのできる存在だと
実感しはじめました

面白くて仕方がありません
生まれて3ヶ月くらいの赤ちゃんは
世界があることに気づいて
楽しくて仕方がない
という仕草を示します
あーあー、まーまー、と喃語をいい
自分の手や足をものすごく嬉しそうにしゃぶります
あれー、こんなとこに面白いものがあるぞ
何だろうこれ
口に入れるとくすぐったいぞ
まさにあんな感じ

私がいないのに
私がいる素晴らしさ
この偉大なパラドックス
楽しまない手はありません

世界が幻想に過ぎないのなら
自分の内面の投影に過ぎないのなら
その幻想だって自分で作り変えられるはず
だって映し出しているのは私ですからね
どうやって作り変えようか
何を創り出そうか
考えるのってめちゃめちゃ愉快です
あなたもやってみませんか(^_-)-☆

いまここに立つこと

今ここにあって 真に自分に向き合うことは

もっとも怖ろしく もっとも勇気のいることです

でも それができたら

それに向き合うことができたら

ひとりぼっちの深淵を覗き込むことさえできたら

その時あなたは気づきます

ほんとうは独りではなかったことに

ほんとうは一度も離れたことはなかったことに

世界が自分を責めていると思うとき

世界が自分をバカにしていると思うとき

指をさすべきは世界じゃない

そんなもの初めからないからです

指をさすのは内側

そこにいるのは誰か

責めているのは誰か

バカにしているのは誰か

独りだと信じ込んでいるときに

それがとても難しいのはわかる

でも独りだと思って震えているあなたを

あなたが愛さないなら誰が愛してくれるものですか

最初の一歩はあなたが踏み出すしかない

あなたが自分の足で、歩き始めるしかない

そうしたら

それさえできたら

助けはいくらでもあります

今この瞬間に自分の足で立つことで

ほんとうは独りではなかったとわかります

本当の自分は力にあふれているとわかります

本当の自分は愛そのものだったと思い出すのです