人生は遊園地♪

品川に来ています
3回目の出張セッションです。駅からホテルまでの短い距離を歩くだけでも、たくさんの人がいるんだなあ、と感心します。窓から見る街は、どこまでも明るい
普段住んでいる京都の田舎とは全然違います。
子供の頃から、こういうたくさんの窓や街灯りを見るたび、
このひとつひとつの窓に、ひとつひとつの家族があって、あるいはひとりで暮らしている人がいて
生まれて、
たくさんのことがあって
死んで
を繰り返しているんだ、
と思っていました
どうして生まれるんだろう
なんのために生きるのだろう
そして死んだらどこへ行くのだろう
懐かしく思い出します、そんな疑問を抱いていた頃のことを
今だって、別に答えがわかったわけではないけれど
なんだか
わからなくたって大丈夫
このままで
すでに
完璧なんだ、と思えてなりません
たくさんの苦しみを抱えたクライアントさんが、
重い足を引きずって
来てくださいます
お話を聞いて
苦しみの鍵を一緒に開けます
そして戻ってきたクライアントさんは
夢見心地のまま家路につかれます
そうやって回数を重ねて
たった2月の間に
すっかり別人になられる方も現れました
別れ際
思わず出た言葉
「人生は遊園地です
思い切り楽しんでください」
2年前の私なら、怒り出したかもしれません
そんなはずないじゃないの、こんなに苦しいのに!

思い出すと笑ってしまいます
出会いに感謝いたします

人生は遊園地
楽しまなきゃ損です、ほんと^_−☆

Are you ready? 本当の自由(^_-)-☆

いつの間にかもうクリスマス

そして年の瀬なんですね
時間の感覚がどんどんあやふやになっていて
今日が何日か何曜日かも、わからないことが多いです
今が朝か夜か、ぐらいはわかりますが
歳のせいでしょ、なんて言う友達もいますが
その、
歳、っていうのもあんまりわからない
変な感じです
最近つくづく思うのは
自由
ということ
怖れなく生きる、というか
こう言ったらこのひとはなんて感じるだろうか
とか
周りのひとにどう映るだろう
とか
ここで選択を誤ると
将来損をするんじゃないか、
とか
失敗しないように頑張らなくちゃ
とか
そういう恐れから自由になること
状況があなたを縛っていると思っていますか?
人間関係のせいで幸せになれないと?
あるいは病気、お金、能力?
ノーノーノー
あなたを縛っているのは
その思考です
思いこみ
ストーリー
それを手放す用意があるか?
本当に幸せになりたいか?
怖れなく生きるということを体感したいか?
要はそれだけです
変容には覚悟が要ります
決断というか
もうたくさんだ、という思いかもしれない
Are you ready?
あなたはどうですか?
わたしの答えは
もちろん、
い、え、す(^_−)−☆
気になったら、お問い合わせください
メリークリスマス*:;☆ Merry X’mas☆;:*

グレート・パラドクス

真実は
いまここにしかありません
いまここ、というのも本当は正確ではなくて
英語では
プレゼンス、と呼んだりします
他にもいろんな言い方がある
これ、とか、それ、とか
アイアム、とか、存在とか
名前のつけようがないのです
名前、概念、意味、時間、そういうものを一切超越しているから
だから、
それを言葉で表現するのは不可能に近い
無理なんです
言葉を当てはめた途端にそれは嘘になるからです
でもそこには確かに何かがあって
しかもそれは途方もなく大きくて
途方もなく静かで
そして開いている
喜び、としか言いようのないものに満ちている
愛、としか言いようのないものが溢れてくる
そして、
そこには誰もいないのです
誰もいない
意味もない
そしてそのことが
なんとも言えない安らぎを生む

それが空です

でも一方で
私たちは色の世界を生きている
つまり現象の世界です
あなたがいて
私がいて
あなたと私は違う人
これ、とそれ、は別のもの
年月が過ぎると年をとり
離れた人に会うのは一苦労
そういう世界を生きている

その両方が
同時に存在するのです

そして不思議なことに
空に気づけば気づくほど
存在の無意味さに開けば開くほど
これが私だ、と思い込んでいたものが
解ければ解けるほど

現象の世界
私がいる世界
色の世界は
生き生きとし始めるのです
なんというか
怖いもんなし
なんでも来い
そしてとても平和

しかも
いままでこれがリアルだ、と思っていたものが
実は幻想だとわかるだけでなく
その幻想の世界は
実はもっともっと広くて
もっともっとバラエティに富んでいて
もっともっとダイナミックだとわかり始める

私の場合だと
エネルギーがわかりはじめました
人の感情がわかったり
石や植物や動物の気持ちがわかったり
目に見えない存在が見え始めたり
宇宙人や龍やなにかと遊んだり
そしてそういうエネルギーを介して
みんながもっと幸せになるように
お手伝いできるとわかり始めたのです
私たちはこの身体、肉体を超えた存在
時間も空間も超えることのできる存在だと
実感しはじめました

面白くて仕方がありません
生まれて3ヶ月くらいの赤ちゃんは
世界があることに気づいて
楽しくて仕方がない
という仕草を示します
あーあー、まーまー、と喃語をいい
自分の手や足をものすごく嬉しそうにしゃぶります
あれー、こんなとこに面白いものがあるぞ
何だろうこれ
口に入れるとくすぐったいぞ
まさにあんな感じ

私がいないのに
私がいる素晴らしさ
この偉大なパラドックス
楽しまない手はありません

世界が幻想に過ぎないのなら
自分の内面の投影に過ぎないのなら
その幻想だって自分で作り変えられるはず
だって映し出しているのは私ですからね
どうやって作り変えようか
何を創り出そうか
考えるのってめちゃめちゃ愉快です
あなたもやってみませんか(^_-)-☆

スピリチュアル難民って?

スピリチュアル難民という言葉を時々聞きます

長い間精神世界の探求を続けてきて、たくさん本を読んだしセミナーやワークにも通ったし
セッションだってたくさん受けたのに
ちっとも変わった気がしない
あるいは多少は変わったかも知れないけれど、でもやっぱり苦しい
もしかしたら、もっと苦しくなってしまった、ということもあるのかも
一体何が正しいのかわからなくなった
疲れちゃった
ということも

しかもこれまでにスピリチュアルに費やしたお金ときたら
相当な金額になってたりするようです

何故なんでしょうね

不思議でならないのです

私がスピリチュアルという言葉を知ったのは
2011年の春頃かな

絶対に揺るがない幸福を探して、でも怪しいぞ、信じられないぞ、とずっと疑ってました

そして悟りの世界を知ったのが
一昨年の5月頃

その頃と比べたら
私の人生は激変しました
どんどんどんどん楽になり
どんどんどんどん軽くなり
生涯最高の幸福感を毎日更新しています
もちろん嵐やどん底は何度も経験したけれど
それでも今は
とにかく幸せで仕方がない

それまでは
自分の人生は不幸の塊だと思ってました
なんて私は運が悪くて
なんて幸せから縁遠くて
辛いことの連続なのかって
怒りと悲しみでいっぱいでした
自分のことが大嫌いでした
病気にもなりました

そのことが
今は遠い夢のようです
本当に、
思い出そうとしてもなかなか思い出せない
歳のせいでしょ、って言う友達もいますけどね(^ ^)

苦しみは自分が作り出している
全ては幻想に過ぎない
壮大な壮麗な夢なのだとわかったのです
わかってみたらすごーく簡単な、単純なことでした
あっはっはーと笑いましたよ

今は面白くて仕方がない
次に何が起きるのか
次に何を経験できるのか

泣くことも怒ることもあるけど
怖がったり迷ったりもするけど

それでも万事OKだと
今は心からそう思える

そうすると
難民になっちゃった人が
どこでどんな落とし穴につまづいたのか
なんだかわかるみたいです
引っ張り上げることもできる
ほらほら、って手を持って立ち上がるのを手伝って
ぱんぱん、と服を払って
さあ行こ行こ、と一緒に歩き出す
ここ はそういう場所です(^_-)-☆

なぜ悟りを求めるのか

ずっとずっと
悟りを求めてさまよっている人に出会います
たくさんの覚者
たくさんの教え
たくさんの本
たくさんのセミナー
訪ねても
参加しても
質問しても
わからないまま
苦しいまま
でも探さずにいられない
なぜって、
そこに参加している時だけは
少し息ができるような気がするんだそうです
スピリチュアルに集う人たちはみんな優しいから
とある人は言った
なるほど
そうかもしれない
心の綺麗な人が多いだろうな
少し
ほっとできるんだろうな

 

でも

ちょっと待って

あなたは
自分の心の声を聞いてますか
あなたの心が
本当はなにを求めているのか知っていますか

 

癒しを求めているのなら
癒しのサポートを得られる場所にいかなくちゃ
助けて欲しいなら
助けてあげられる自分にならなくちゃ

 

中途半端な癒しじゃダメ
究極の癒しじゃなくちゃ
悟りじゃなくちゃ
自分は救われない、と思っているのなら

 

なぜそんな風に思うのか
なぜ家族や友達やペットや道端の草じゃだめで
悟りじゃないとだめなのか
そこを聞いてあげなくちゃ

 

外に救いを求めている限り
いつまでたっても出られません
ストーリーのラビリンス

 

でも絶対に
出ることのできるラビリンス