親に愛されなかった子供は幸せになれないの?

親に愛されなかった子供は幸せになれないの?

私はずっとそう思っていました。
愛されなかったというのは厳然たる事実なのだから、
それを変えることなんてできないと。
与えられなかった愛の部分が欠けているのはどうしようもないことだと。
だから私は、それを他のもので埋めようとしました。
恋人、学歴、職場での評価、スキル…
人間関係でもがけばもがくほど、
泥沼に陥りました
その辛い経験をせめて美しいものに昇華させようと
詩や小説に打ち込んだりもしました。
でも一向に埋まらなかった
埋まるはずなどなかったのです
なぜなら
愛されなかったというのがストーリーだから。
愛されなかったという記憶を、いわば1つのプログラムとして自分に組み込んで
それに振り回されて生きていただけなのでした。
今この瞬間には起きていない過去の記憶を、
必要もないのにエンドレスに自動再生して生きていたのです。
それに気がついて、そのストーリーを手放すと
そのプログラムを削除すると
喜びが溢れ出しました。
力が内からみなぎるのがわかりました。
私は少しも欠けるところのない、完全な愛だったのです。
欠けたことなどなかったし、
補う必要もなかったのです
このままで
ただあるだけで
すでに完璧だったのでした
それに気づいた時
泣きました
わあわあと
笑いました
ケラケラと
いま
私はしあわせです
悩みはあるし
迷いもあるけれど
誤解されて傷ついたり
欲しいものが得られなくて落ち込むこともあるけれど
それでもしあわせ
なにか特別なことが起きたからではなく
特別なひとになれたからではなく
ただ
いまここに
こうしてあることが
こうしていられることが
それだけで
しあわせです
どうやってストーリーを手放したの?
そりゃあ真剣に取り組みました
でも、たかだか2年です
どんな風にしあわせなの?
会いに来てくださったらわかっていただけるかもしれません
それってどんな感じなの?
セッションを受けてくだされば体験できます。
お問い合わせくださいね^_−☆

らくちんこ道じゅんころさんと

変わったお名前ですが、お会いするとごく普通の優しい女性です。大阪の道頓堀で非二元のお話会をされていて、何度かお会いしました。

メッセージはとてもシンプル、大和田菜穂さんと同じ、「これしかない」です。
でもエゴと思考にも付き合ってくださるし、お笑い芸人かと思うくらい面白いので、とっても楽しいんですよ。気さくに親身に話してくださって、とてもありがたいんです。
そして、わたしがじゅんころ効果、と呼んでいるものがあるのです。
なんというか、あ、そうか、というような。
何にも問題ない、深刻にならなくていい、ってことが、わかっちゃうというか、わかったような気がする、というか。そういうひとが続出しています。日常に戻るとまた思考に巻き込まれることが多いみたいですけれど、一度でもわかったら、忘れません。
その効果なのかなんなのか、「私」が消える体験が、ちょくちょく起きるようになりました。スピリチュアル・アナトミーと相乗効果を生んでいる気がしています。
一瞥とは少し趣が違いますが、先日は、ゆで卵の殻をむいている時にそれが起きました。
一瞥と同じで、そこには殻をむいている人はなく、目の前に卵と、動いている手があるだけ。思考は一切なく、時間が止まっている、というか、今しかないことがはっきりわかりました。あ、と思った途端にまた戻ったんですが。
またある時は、自我が抜けていく感覚が強烈で、そうするとそこには誰もおらず、恐れが全くなく、あらゆる行動に意味がありませんでした。ただ、愛だけがあって、愛に基づく行為だけが、まるで輝いているような、そんな感じ。
私という感覚が、他者を作り出し、時間を作り出し、過去と未来、原因と結果、迷いや苦しみを作り出していることが、本当にはっきり見えてきています。なんとまあ、不思議な生き物なんでしょうか、人間とは。
じゅんころさんにかかれば、自我なんてないし、これしかないし、あとは全部ストーリーなんですが。
そうは言っても私は、起きたことにこうやって考えを巡らせちゃいます。そして、何にも問題ない、って本当だったんだ、本当に本当に、問題なんてないんだ、とウルウルしちゃいます♫
品川出張セッション、お知らせした当日にほとんど予約をいただき、残っていた枠も全て塞がりました。お断りせざるを得なかった方もおられて、心残りではありますが、今後も定期的に出張セッションをしていくつもりですので、またお目にかかれることがありますね♫
ケーススタディとして、目標の50セッションはすでに終わってしまいましたが、まだ継続していくつもりです。
引き続きお申し込み受け付けております^_−☆

大和田菜穂さん(*^-^*)

大和田菜穂さんのお話会にいってきました
衝撃に頭がガンガンしてました
でも同時に、とてもすっきりする

 

メッセージはとてもシンプルです。
本当は誰もいない、自分も自分以外も誰もいない
ただ、「全体」があって、そこから全てが生まれている
何もないけれど、同時に全てがある
そこから全てが単に起きているだけ
そのとてつもない自由さ
個人がそもそもいないから、目覚めるとか、悟るとか、あるいはそこへ至るプロセスもない
「全体」が、「全体」自身に気づくだけ
「私」が「私でないもの」「悟り」を求めて探究する限り、それにたどり着くことはあり得ない
探究のエネルギーはベクトルが真実とは逆を向いている
だから、目覚めるために「私」にできることは何もない

 

軽やかに、朗らかに生きている菜穂さんの姿を目の当たりにできたことは
堅苦しい悟りのイメージをまだ持っていた私には
本当に「痛きもちいい」感覚でした
破壊、されました

 

そのメッセージは、少し前に「私が」経験したものと実は同じです
車を運転していた時のことでした
誰もいなかった
何もなかった
ただ、運転が「起きて」いた
誰もいないのに、車はちゃんと走っていたんです
そして、何かが、それ自身に気がついた、
はっと
だけどそこで、「私」が戻っちゃったんです
気付いた瞬間に生じたエネルギーの爆発の威力にびっくりして
自我のエネルギーが復活してしまった
菜穂さんのように、完全に「私」が消えることをせずに
まさに一瞥

 

それをエゴ的私は嘆いたりもするけれど
でも
だからこそわかることがある、ということに気づきました
自分がいないってこのことか
ああこれが「それ」なんだ、という実感
「私」がいる感覚と
「私」がいない感覚の両方
その違いがわかる
何よりも、どうすりゃいいの、ってことのヒントがわかる
少なくとも自分には有効だったあれこれ
セッションの位置づけもはっきりしました

 

何もできないわけじゃない
できることは、あるんです
それなりに
探究のエネルギーを強化しない、逆に緩める方法
悟りを求めて永遠に彷徨わずにすむ方法
その微妙なさじ加減
そして、「自我」がじわじわと崩壊していくのを実感してもいます
だからいつか消えちゃうのかどうか、そりゃわかんないけども

でも、自由です、確実に

気づかないで生きてきた

ブログの更新をしばらくサボってました。いま記録をみたら、一月も経っていてびっくりです。そんなはずはないんだけどなあ、と頭をぽりぽり。

実はいろいろありまして。いわゆる一瞥とかシフトとか。それを統合するのに時間がかかりました。セラピーをする意味が分からなくなりかけたりもして。でも、一応落ち着いたようです。その経緯についてはまた別の記事にしますね。

今日はお客様の声を。

入口は「メールを書きたくない」というテーマでしたが
抱えていたことすら気づいていない心の痛みを取り出していただき大感謝です。
「弟の面倒をみなきゃいけないから、泣いちゃいけない」
40年以上も、このプレッシャーを感じて、常に緊張していたとは知らなかった。
まあ、知ってたら、今頃発狂してただろうなあ(笑)
セッションが終わってから気づいたのですが
弟が体調をくずしたこともあり
このプレッシャーはここのところ、本当はより強くなっていたのかと思います。
そのまま感じると辛いから、無意識に感情に蓋をしていたのでしょう。
私の代わりをしてくれていたクマちゃんBlueにも大感謝、ハグハグしたいです~♪
ステキなセッションありがとうございました。
これはうろうろ迷い始める前に受けていただいたセッションなのです。先に書いたようなわけで言葉が出なくなり、ご紹介が遅くなりました。
この方は素晴らしいキャリアをお持ちのセラピストで、私はとても尊敬しています。だからなのか、痛みを見つけると開放はとてもスムーズに起き、こちらが拍子抜けするほどでした。そんな方ですら気づかずに来た痛みがまだあることがある、ということも、大変勉強になったセッションでした。
ありがとうございました。