探求の終わり

悟りとか非二元って、エゴが無くなること、恐れやネガティブな感情が無くなって、超人みたいになり、何にも傷つかなくなること、みたいな想像をしていた時期がありました。エゴが無くなった、恐れがない、と説明する人もいるし、それが間違いではないのでしょうが、エゴ=ネガティブな思考や感情、あるいは欲、だと思っていましたね。でもそうじゃなかったんですね。

エゴ=私、個人としての私の感覚、世界から分離した私が存在して、世界の中を生きていかなきゃならない、この思い込みが壊れただけなんですね。それが単なる思い込みだった、夢のようなものだった、という気づきが訪れるだけなんです。覚醒とはよく言ったもので、本当に、目が覚めたような感じです。そしてふと気がついたら、探求が終わっていた。なにか足りない、なにかを目指さなくてはいけない、何かにならなくてはいけない、そういうドライヴ(衝動というか)が消えているのです。

いろんなものが消えました。一番顕著なのは、優越感や劣等感。無価値観や自己嫌悪、恥、憧れとか崇拝、依存、競争心、そういうものが無くなった。けれども怒りや悲しみ、寂しさ、怖いとか嫌い、といった感情は湧きます。それもどんどん弱くなってはいってるようではあるけども。

そんな風に目が覚めてみれば、全てが映画のようなものでした。その映画の主人公になったつもりで、必死になってシナリオを書き換えようとしていたんですね。そしてある程度それは成功もしたんです。悲劇のど真ん中にあがいているようなストーリーから抜け出す出口を見つけた時は、これが出口だ、ここから出れば良いんだ、と有頂天になり、エネルギーや人の思考や感情がわかるようになったことにワクワクしていました。そして数多くのセッションを通して、クライアントさんが変容していく姿に感動していました。

でも気づいてしまったのです。それもやっぱり夢だったと。

素敵な夢だったけれども、それもやっぱり夢の中だったと。そして夢の中では、良いことも起きれば辛いことも必ず起きるのです。子供の頃からずっと探していた何かはこれではなかったんですね。

みんな辛い夢を見ながら、なんとかその夢を良い夢、楽しい夢に変えようと頑張っているんです。頑張らないことすら頑張って生きている。

でも、辛い夢を終わらせるには、夢から醒める方が早いじゃないですか。悪夢にうなされていたら、一旦起きる方がいいのと同じです。本当に、ただそれだけのことなんです。

言うのは簡単だけど、どうすりゃそれができるのかわからないんだよ!

そんな声が聞こえてきそうですが。

コツがあるんです。それを見つけました。なので、そのセッションをやろうと思います。

Hello, again.

長らくこのブログを放置していましたが、時々どうやってだか見つけて連絡をくださる方がいます。今はFB もやっていないので、私は存在しないも同然なのですが(笑)

もうそろそろこのブログもクローズしなくては、と思っているのです。でもこうやって連絡をくださる方々に、なにか応えたい思いも湧きます。そうして読み返してみて、このブログを書いていたころの私の思い、そのコアにあったものは、結局今もかわらないな、とも思うのです。それは子供のころからずっと思っていたこと、求めていたもの、当時はそれがなんなのかわからず、ブログを書き始めたころは少し光が見えてきたのでした。

ずっと探していた、その探究の旅はやっと終わりました。いまはただただ安堵のなかにいます。ああこういうことだったのか、なんでいままでわからなかったのだろう、一年ほど前にはそんな感じでした。あまりにナチュラル、当たり前で、なんにもなくて言葉が浮かびませんでした。何かを言おうとしても、とたんに無意味になってしまって。いまはそれともちょっと違います。

私が今何を思っているか、クローズする前に少し書いていこうと思います。

..

後悔からの自由と理由のない幸福

身辺の嵐のことを前回少し書きましたが
嵐に翻弄される木の葉であってもだいじょうぶな感覚を失わなかったのはなぜなのでしょう

セラピスト開業した頃
抱いていた自己肯定感には理由がありました
癌や鬱を経験し、そして楽になったのだから
トンネルには必ず出口があるとわかったのだから
出口を見つける方法を知っているのだから
これを伝えることができる
そして、エネルギーというか、ひとの感情や思いがわかるようになったことも

つまり、〇〇な私、というなにがしかの理由
これはこれで良かったと思います
素晴らしい感覚だったし、それで誰かが楽になって、喜んでもらえるのが本当に嬉しかった
天職を見つけたと思ったものです

でもことはそれでは終わらなかったのですね
〇〇な、という理由は
移り変わるからです
言い換えれば、
移り変わらないものなど、何一つ無いからです
〇〇そのものが変わることもあるし、〇〇に対する自分の意味づけが変わることもあります
理由のある幸福は、理由の変化とともに、消えるとまではいかなくても質的に変化するものなのですね

何がどのように起きたのか、書ければいいのですが、
それには本1冊分くらいかかるかもしれないのでここでは割愛します

何度も何度も感情の嵐に巻き込まれましたが、その最中にもにもそれをじっと見ている何かがありました
まったく静かに、まったくニュートラルに、ただそこにある何か
ときおりエアポケットのようにそこにすぽっとはまると
ただただ静かです
またそこから嵐のなかへ投げ出されても
何かが以前とはまったく違います

その違いについて気がついたことがあります
後悔がないのです
後悔、あるいは罪悪感、あるいは自己嫌悪
たとえば侮辱されて激しい怒りに燃えていても
わかってもらえなくて悲しくて泣いていても
そこに、自分を責める思いがない
自分が正しいからとかそういうことではなくて
開き直るとかそういうことでもなくて(正しくなくてもいいのです)
悔やむ、ということがないのです
あるいは恥じる、ということがないのかもしれない

苦しみの本質は
自己否定なんだと改めて痛感しました
自分を責める気持ち、これが何よりも苛むのです
あるいは深いところで、どこか自分というものを恥じている感覚

繰り返し脳裏に浮かぶ問題や悩みがあったら
そうっと自分に問いかけてみてください
誰かに対する怒りの陰に
消えない迷いの陰に
ご自分を責めるもう1人の自分がいないかどうか

〇〇な、がなくなってもOKになると
〇〇のない「私」っていないんですよね

自由だけが残ります♪

嵐のあと♡

9月になりました
日中の残暑はまだまだ厳しいけれど、吹く風は明らかに秋の気配を漂わせていますね
空の青、海の青も、少し力が抜けたような感じです
またしてもブログの更新をサボってしまいました
この間引越しあり出会いあり別れあり、身辺なかなかの激動の夏でした
激しく移り変わるあれこれに木の葉のように弄ばれつつ
でも心の深いところにとても静かで広大なスペースが
少しも変わることなく広がっていることが
大きな救いでした
何があっても、どんなことを経験しても
だいじょうぶ、絶対にだいじょうぶなのだということが
さらに深く腑に落ちていく感じです
そうすると
嵐に弄ばれる木の葉であっても
安心してくるくる舞っていられますね
必ず着地するとわかっているから
九州には台風が近づいているようですが
私の嵐はひとまずやんだみたいです

窓から見えるのは空と山と海だけ
聞こえるのは川のせせらぎと鳥の声だけ
気持ちの良い風が海から吹き抜けていきます
忙しい日常のストーリーを一旦手放して
本来のご自分に戻るのに
もってこいの場所だと思っています
いらない荷物を降ろし
ご自分をじっくりと労わっていただくためのメニューを用意しました
お気軽にお問い合わせください(^_−)−☆

自己愛と自己受容

アニータ・ムアジャーニという人をご存知でしょうか?
末期癌のために危篤状態に陥ったあと、臨死体験をして生還し、奇跡的な回復を遂げた女性です。その経験から学んだ自己愛の重要性を、書籍や講演会でシェアしてくれています。
私の大好きな人です。
アニータのメールマガジンが届いたので、ラフですが訳してみました。一部割愛しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私が癌で闘病していた時、私は自分の思考をとても恐れていました、なぜなら癌は自分のネガティブな思考によって作り出されたと考えていたからです。何かの恐れや不安やネガティブな考えが浮かぶたび、私はそれを否定し、抑圧し、押しやっていました、それらがネガティブな現実を実際に創り出すと信じていたからです。皮肉なことに、恐れを押しやれば押しやるほど、それらの思考は執拗になり、私はますます恐れにかられました。

癌によって瀕死になってようやく、私は自分の思考や感情をたくさん抑圧してきたことにきづきました。恐れのゆえに、ネガティブな思考を追いやろうとしていたのです

楽観的であり希望を持っていることは有益です、でも私たちは人生の苦難を避けられません。ポジティブでなければならないという信念は苦難に際しての苦痛を増すばかりです。すると私たちは自分の苦痛を恥じ、自分のスピリチュアリティが足りないために苦難を呼び寄せたと考えがちです。

もしも私が常に一定の感情や気持ちをネガティブだからといって抑圧し、もっとポジティブになるようにと自分に強いていると、自分自身に対して、私の思考は間違っている、というメッセージを送り続けているのと同じことなのです。私はそんな考えを持つべきではないと! つまり基本的に、私はありのままの私、私の感情を否定しているのです。そして自分の真正さを否定していることになるのです。これは自分に対してとても優しくないですし、気持ちや感情を抑圧して押さえつけておくことは不健康なことでもあります。

恐れから抜け出す最善の方法はそれを体験し尽くすことだと学びました。本物の黄金はそこにあるのです。つまり恐れがそこにあることを認識し、それを受容するのです。その存在を認め、それを感じきることを自分に許すのです。それを自分のものとして所有するのです。そしてそれができれば、恐れは消えますー構って欲しくて泣いている子供が、注意を払ってもらうと落ち着いてすやすやと眠りにつくようなものです。安らぎが訪れ、その安らぎの中で、私たちは再び人生に喜びを招き入れることができるようになります。

ありのままの自分でいることはポジティブであることよりももっと重要です。そしてその結果あなたはポジティブになり、それがあなたの本質なのです。

Anita(抄訳・堅田理恵)

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怒りや悲しみ、孤独や疎外感、それらのネガティブといわれる感情を感じることを、私たちはとても恐れています。それらを感じないように、感じてもすぐに忘れるように、そうやって生きることがいいこと、成熟した大人のすることであり、強い人のすることだ、と思っている人もいるのではないでしょうか?

あるいは、怒ってはいけない、泣いてはいけない、としつけられてきた人もいると思います。特に男性は、泣くことを禁じられて生きていると言っても過言ではないかもしれませんね。

そして、私たちはいつの間にか、なんだかもやもやする、やる気が出ない、楽しくない、といった気分の変調に悩むようになったり、あるいは病気にかかってしまったりするのです。

感情に向き合うのが一番の近道です。

心も初夏の準備を(^_−)−☆

今日は暖かいですね
上着も要らない感じ♪
ブログをずっと更新していないのに、毎日たくさんの方が訪れてくださっていて、感謝しています
ちゃんと書いてくださいよ、って叱られちゃいました^^;

東京に来ています
部屋の窓からいるかと富士山が見えます

早いもので東京出張セッションもいつの間にか6回目
告知するのも忘れるズボラぶりですが、毎回古い記事を読んで申し込んでくださる人と、継続してくださる人とがいらっしゃって、ありがたいことです

ずっと身辺いろいろありまして、やっと落ち着きました^^;
深いところに隠れていたものが、3ヶ月くらいかけてこれでもかこれでもか、と浮上してきていました
あーだこーだジタバタもがき、やっとピークを越えたようです
自我という幻想、私という思い込みを手放すプロセスが、容赦なく進んでいった感じです
いったいいつまで続くのか、と嘆きたくもなりましたが、でもどこかで大丈夫だとわかってもいました

その間、エゴの仕組み、その幻想性、苦しみの正体、をじーっと観察していました^^;

いま、空っぽな感じが更に定着していくのを感じています
「私」がいない経験は、いままで自分1人の時にしか起きなかったのですが、誰かと一緒にいても起きるようになり、すこしずつそちらがデフォルトになりつつあるようです
そうすると、相手も空っぽだということがよくわかります
そして、時間というものもないし、全てはただ起きているだけ
これ、があるだけで他には何もない、としか言いようがないことも
その自由さをどう表現すればいいのでしょうね
セッションはこれからも続けるけれども
その内容はおおきく変わって行くかもしれません

伊豆に引っ越したんです
何故?どうして伊豆に?
といろいろ聞かれますが、さあ、そんな成り行きになりまして、としか言えないんですよね
説明しようとすればあれこれ言えるけれど、説明しても仕方がないような感じでもあります
そのように起きただけ、かな
引っ越し先については、また詳しく書きますね(^ ^)
とっても素敵なところなんです

伊豆の山奥まで来てくださるのであれば、もちろん歓迎いたします
早速伊豆でのセッションをお申し込みくださる方もいて、とっても嬉しいです(*^_^*)

幻想の私を一枚ずつ脱いで、心も初夏服に着替えましょう(^_−)−☆

人生は遊園地♪

品川に来ています
3回目の出張セッションです。駅からホテルまでの短い距離を歩くだけでも、たくさんの人がいるんだなあ、と感心します。窓から見る街は、どこまでも明るい
普段住んでいる京都の田舎とは全然違います。
子供の頃から、こういうたくさんの窓や街灯りを見るたび、
このひとつひとつの窓に、ひとつひとつの家族があって、あるいはひとりで暮らしている人がいて
生まれて、
たくさんのことがあって
死んで
を繰り返しているんだ、
と思っていました
どうして生まれるんだろう
なんのために生きるのだろう
そして死んだらどこへ行くのだろう
懐かしく思い出します、そんな疑問を抱いていた頃のことを
今だって、別に答えがわかったわけではないけれど
なんだか
わからなくたって大丈夫
このままで
すでに
完璧なんだ、と思えてなりません
たくさんの苦しみを抱えたクライアントさんが、
重い足を引きずって
来てくださいます
お話を聞いて
苦しみの鍵を一緒に開けます
そして戻ってきたクライアントさんは
夢見心地のまま家路につかれます
そうやって回数を重ねて
たった2月の間に
すっかり別人になられる方も現れました
別れ際
思わず出た言葉
「人生は遊園地です
思い切り楽しんでください」
2年前の私なら、怒り出したかもしれません
そんなはずないじゃないの、こんなに苦しいのに!

思い出すと笑ってしまいます
出会いに感謝いたします

人生は遊園地
楽しまなきゃ損です、ほんと^_−☆

親に愛されなかった子供は幸せになれないの?

親に愛されなかった子供は幸せになれないの?

私はずっとそう思っていました。
愛されなかったというのは厳然たる事実なのだから、
それを変えることなんてできないと。
与えられなかった愛の部分が欠けているのはどうしようもないことだと。
だから私は、それを他のもので埋めようとしました。
恋人、学歴、職場での評価、スキル…
人間関係でもがけばもがくほど、
泥沼に陥りました
その辛い経験をせめて美しいものに昇華させようと
詩や小説に打ち込んだりもしました。
でも一向に埋まらなかった
埋まるはずなどなかったのです
なぜなら
愛されなかったというのがストーリーだから。
愛されなかったという記憶を、いわば1つのプログラムとして自分に組み込んで
それに振り回されて生きていただけなのでした。
今この瞬間には起きていない過去の記憶を、
必要もないのにエンドレスに自動再生して生きていたのです。
それに気がついて、そのストーリーを手放すと
そのプログラムを削除すると
喜びが溢れ出しました。
力が内からみなぎるのがわかりました。
私は少しも欠けるところのない、完全な愛だったのです。
欠けたことなどなかったし、
補う必要もなかったのです
このままで
ただあるだけで
すでに完璧だったのでした
それに気づいた時
泣きました
わあわあと
笑いました
ケラケラと
いま
私はしあわせです
悩みはあるし
迷いもあるけれど
誤解されて傷ついたり
欲しいものが得られなくて落ち込むこともあるけれど
それでもしあわせ
なにか特別なことが起きたからではなく
特別なひとになれたからではなく
ただ
いまここに
こうしてあることが
こうしていられることが
それだけで
しあわせです
どうやってストーリーを手放したの?
そりゃあ真剣に取り組みました
でも、たかだか2年です
どんな風にしあわせなの?
会いに来てくださったらわかっていただけるかもしれません
それってどんな感じなの?
セッションを受けてくだされば体験できます。
お問い合わせくださいね^_−☆

Are you ready? 本当の自由(^_-)-☆

いつの間にかもうクリスマス

そして年の瀬なんですね
時間の感覚がどんどんあやふやになっていて
今日が何日か何曜日かも、わからないことが多いです
今が朝か夜か、ぐらいはわかりますが
歳のせいでしょ、なんて言う友達もいますが
その、
歳、っていうのもあんまりわからない
変な感じです
最近つくづく思うのは
自由
ということ
怖れなく生きる、というか
こう言ったらこのひとはなんて感じるだろうか
とか
周りのひとにどう映るだろう
とか
ここで選択を誤ると
将来損をするんじゃないか、
とか
失敗しないように頑張らなくちゃ
とか
そういう恐れから自由になること
状況があなたを縛っていると思っていますか?
人間関係のせいで幸せになれないと?
あるいは病気、お金、能力?
ノーノーノー
あなたを縛っているのは
その思考です
思いこみ
ストーリー
それを手放す用意があるか?
本当に幸せになりたいか?
怖れなく生きるということを体感したいか?
要はそれだけです
変容には覚悟が要ります
決断というか
もうたくさんだ、という思いかもしれない
Are you ready?
あなたはどうですか?
わたしの答えは
もちろん、
い、え、す(^_−)−☆
気になったら、お問い合わせください
メリークリスマス*:;☆ Merry X’mas☆;:*

愛の覚醒

変容を始めるクライアントさんが続出しています。
いずれも継続して受けてくださっている方々、
ほとんどが毎週、半年以上も月一回のペースで通い続けてくださっている方も。
抱えておられた悩みは様々ですが、
生きている意味がわからない
消えてしまいたい
楽しいってどういうことかわからない
虚しくて仕方がない
そんな風に繰り返し訴えておられて
なんどもなんどもセッションを受けても
楽になったのかどうかわからない
あるいは感情が噴き出してきて却って苦しい
そんな風におっしゃっていました。
ところがある日
いつも通りにお会いすると
別人になっているのです。
前回のセッションでは、大きく変容する兆しもそんなになかったのに
次にお会いすると
なんだかよくわからないけど
楽になったんです
心が軽くなりました
あんなに不安で胸が潰れそうだったのに
今はなんともありません
みなさんそんな風におっしゃいます
感情は上がってくるけれど
見ているとすうっと抜けていくので怖くないんです、と
なんだか楽しいんです
今日のテーマ?
さあ、なんだろう、
特にないですね
と(笑)
自然に溢れる笑みのチャーミングなこと(*^_^*)
医療機関のカウンセリングに何年も通って少しも楽にならなかったのに
これは一体なんですか、とお尋ねになる方も
さあ、これはなんなんでしょう
何かが起きたんですね
思考と感情の誤ったプログラムを解除する、
すると何かが目を覚ます
そしてあなたは本来の輝きを取り戻し始めます
その人がもともと持っていた生命力に再び火が灯り
生き生きと脈動を始めるのが手に取るようにわかります
人間てなんて素晴らしいんでしょうか